

心不全では、心拍出量の低下や有効循環血液量の減少を契機として、交感神経系、レニン・アンジオテンシン・アルドステロン系、バソプレシン系などが活性化する。腎臓ではナトリウムと水の再吸収が促進され、循環血漿量の増加、静脈うっ血、末梢浮腫、肺うっ血を生じやすくなる。食塩摂取量が多い状態では、この体液貯留傾向がさらに増幅され、呼吸困難、起坐呼吸、下腿浮腫、腹部膨満、急激な体重増加といったうっ血症状の増悪につながる。
したがって、塩分制限の目的は単に食事を薄味にすることではない。ナトリウム負荷を抑え、利尿薬による除水効果を支え、体液量の安定化を図ることである。患者には「塩を多く摂ると体に水分が残りやすくなり、心臓がより多くの血液を扱わなければならなくなる」と説明すると理解を得やすい。ただし、心不全の病態、うっ血の程度、腎機能、血圧、薬物治療、栄養状態は一様ではないため、食塩制限の強度も画一的に扱うべきではない。
2025年改訂版の日本の心不全診療ガイドラインは公開されており、近年の心不全管理では、過剰な塩分摂取を避けつつ、患者の病態や栄養状態を考慮して管理する個別化の重要性が増している。従来の「全例で厳格に減塩する」という単純な指導ではなく、うっ血コントロールと低栄養予防の両立が臨床上の核心となる。日本心不全学会:心不全診療ガイドライン
日本では、従来の慢性心不全に対する生活指導として、食塩摂取量を1日6g未満とする目標が広く用いられてきた。旧来の国内ガイドラインでは、慢性心不全患者の減塩目標を1日6g未満とし、重症心不全ではより厳格な塩分制限を検討するとされていた。一方、高齢者では過度の減塩により食欲低下や低栄養を招く可能性があるため、状態に応じた調節の必要性も明記されている。
mhlw.go(https://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-10901000-Kenkoukyoku-Soumuka/0000202651.pdf)
国際的にも、心不全患者に対する「最適なナトリウム摂取量」を示す強固なエビデンスは十分ではない。2022年AHA/ACC/HFSA心不全ガイドラインでは、症候性のあるStage C心不全患者において、うっ血症状を抑えるために過剰なナトリウム摂取を避けることは妥当とされる一方、具体的な厳格目標値を一律に定める根拠は限定的とされている。
ahajournals(https://www.ahajournals.org/doi/full/10.1161/CIR.0000000000001063)
また、SODIUM-HF試験では、外来心不全患者806人を対象に、ナトリウム摂取量を1日1,500mg未満にすることを目標とした食事介入は、全死亡または心血管疾患関連入院などの臨床イベントを有意に減少させなかった。一方で、生活の質には一定の改善が示されたと報告されている。したがって、極端な制限を無条件に強化するよりも、食事摂取量、体液貯留、症状、服薬状況を含めて個別に調整する姿勢が重要である。
onlinelibrary.wiley(https://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/ejhf.3244)
| 項目 | 基準・内容 | 備考 |
|---|---|---|
| 国内で広く用いられる目安 | 食塩相当量1日6g未満 | 従来の慢性心不全管理で一般的に用いられる目標 |
| 重症例・うっ血増悪例 | より厳格な制限を個別に検討 | 低血圧、腎機能、低ナトリウム血症、食事量低下を同時評価する |
| 高齢・フレイル・低栄養例 | 過度な制限を避けて栄養を優先 | 体重減少、筋肉量低下、食欲低下があれば管理栄養士との連携を検討する |
| 米国ガイドラインの考え方 | 過剰なナトリウム摂取を避ける | 特定の厳格な上限値を全患者に一律適用する根拠は限定的 |
外来や退院支援における減塩指導では、「塩を控えてください」という抽象的な説明だけでは行動変容につながりにくい。まず、患者が普段何から塩分を摂取しているかを把握する必要がある。家庭での調理時に使用する食塩、しょうゆ、みそ、だし入り調味料だけでなく、漬物、佃煮、干物、練り製品、ハム・ソーセージ、インスタント食品、レトルト食品、総菜、麺類のスープ、外食のたれやドレッシングなどを具体的に確認する。
食塩摂取量の評価には、食事記録、聞き取り、栄養士による食事調査、24時間蓄尿による尿中ナトリウム排泄量の測定、随時尿からの推定などがある。24時間蓄尿は評価精度の面で有用だが、外来で継続的に実施するには負担が大きい。日常診療では、食事内容の具体的な聴取、体重変動、浮腫、血圧、利尿薬調整、血清ナトリウム値、腎機能、BNPまたはNT-proBNPなどを総合して、実際の塩分・水分バランスを推定することが現実的である。
特に重要なのは、患者の「塩分を控えています」という自己評価をそのまま受け取らず、具体的な食品と量に翻訳して確認することである。例えば、家庭で調理する際に食塩を使わなくても、昼食にラーメンの汁を飲み干し、夕食に総菜や漬物を加えれば、1日の食塩相当量は大きく増える。逆に、過度な自己制限で食事量そのものが低下している患者では、塩分量だけを問題にするとサルコペニアやフレイルを見逃す危険がある。
減塩指導は、禁止事項を並べるよりも、患者が今日から実行できる代替行動を提案した方が継続しやすい。塩味を減らす際は、酸味、香り、辛味、うま味、食材の食感を活用する。レモン、酢、ゆず、かぼす、香味野菜、こしょう、唐辛子、カレー粉、しそ、しょうが、にんにく、ごま、だしなどを用いると、単純に調味料を減らすよりも味の満足度を保ちやすい。
汁物は塩分摂取源になりやすいため、回数や量を調整する。みそ汁やスープを完全に禁止する必要はないが、具だくさんにして汁の量を減らす、汁を残す、1日複数回摂らないといった具体策が有用である。麺類では、スープを残すだけでもナトリウム負荷の軽減につながる。しょうゆ、ソース、たれは料理に直接かけず、小皿に少量出してつける方法を勧める。
加工食品や外食では栄養成分表示を確認し、「食塩相当量」を基準に選択する習慣を支援する。弁当、総菜、冷凍食品、パン、チーズ、ハム、練り製品、カップ麺などは、見た目には塩辛く感じなくても塩分が多いことがある。患者の生活背景に合わせ、調理可能な人には献立や調理法を、調理が難しい人には市販品の選び方や食べる頻度・組み合わせを提案することが必要である。
家族への説明も欠かせない。患者だけ別メニューにすると継続が難しく、食事の楽しみが損なわれやすい。家族全体で薄味に慣れる、卓上調味料を置かない、だしや香味を活用する、漬物や佃煮を常備しないなど、家庭環境を変える支援が有効である。心不全のセルフケアでは、食事内容とともに毎日の体重、浮腫、息切れ、夜間呼吸困難、尿量の変化を確認し、悪化徴候があれば早期に医療機関へ連絡するよう指導する。
心不全患者に対する塩分制限では、「少なければ少ないほどよい」とは限らない。高齢者、フレイル、サルコペニア、低栄養、悪液質、食欲低下、嚥下機能低下、抑うつ、独居、認知機能低下を有する患者では、厳格な減塩が食事のおいしさを損ない、総エネルギー摂取量やたんぱく質摂取量の低下を招く可能性がある。食事量が減少した結果、筋肉量が低下し、身体機能や予後に悪影響を及ぼすことも懸念される。
また、利尿薬、レニン・アンジオテンシン系阻害薬、ARNI、MRA、SGLT2阻害薬などを用いる心不全患者では、血圧、腎機能、カリウム、血清ナトリウム、体液量の変化を継続的に観察する必要がある。食塩・水分制限を自己判断で過度に行うと、脱水、腎前性腎機能悪化、低血圧、めまい、転倒、食欲不振を助長する場合がある。水分制限についても、塩分制限とは別に、病態、低ナトリウム血症、うっ血、腎機能、気候、利尿薬使用量などを踏まえて医療者が判断すべきであり、患者が独自に極端な制限を始めることは避ける。
医師、看護師、薬剤師、管理栄養士、理学療法士、訪問看護師、ケアマネジャーが情報を共有し、患者の生活に即した減塩計画を作ることが望ましい。管理栄養士は食品別の塩分量や代替食品の提案、看護師は自己測定と症状観察の定着、薬剤師は服薬・市販薬・健康食品の確認、医師はうっ血と薬物治療の評価を担う。患者の体重増加や症状増悪を単に「減塩不良」と決め付けず、薬剤アドヒアランス、腎機能、感染、不整脈、貧血、生活環境の変化も含めて評価する視点が必要である。
心不全における塩分制限は、うっ血管理の重要な土台である。しかし実践すべきなのは、極端な数値目標だけを押し付けることではない。過剰な塩分摂取を避け、患者が継続できる食生活を設計し、体重・症状・栄養状態・検査値を用いて定期的に見直すことが、再増悪予防と生活の質の両立につながる。特に高齢心不全患者では、減塩の達成度だけでなく、「十分に食べられているか」「体重が意図せず減っていないか」を同じ重さで確認することが求められる。 mhlw.go(https://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-10901000-Kenkoukyoku-Soumuka/0000202651.pdf)