

肺動脈性肺高血圧症(pulmonary arterial hypertension:PAH)は、肺高血圧症(pulmonary hypertension:PH)の臨床分類における第1群に位置づけられる疾患群です。肺小動脈を中心とする肺血管の攣縮、内皮機能異常、炎症、血栓形成、平滑筋細胞増殖、血管壁肥厚などが重なり、肺血管抵抗が持続的に増加します。その結果、右心室は高い後負荷に抗して拍出を続ける必要があり、進行すれば右心拡大、右室機能低下、右心不全へ至ります。
臨床的には、労作時息切れ、易疲労感、動悸、胸部不快感、めまい、失神、下腿浮腫、腹部膨満などがみられます。ただし初期症状は非特異的であり、加齢、貧血、喘息、慢性閉塞性肺疾患、虚血性心疾患、不安症などとして扱われ、診断が遅れることがあります。とくに、労作時の息切れが徐々に悪化するにもかかわらず胸部画像や呼吸機能検査だけでは説明しにくい場合、結合組織病、先天性心疾患、門脈圧亢進症、HIV感染、薬剤・毒物曝露などの背景がある場合には、PAHを含むPHを意識した評価が必要です。
PAHは、特発性PAH、遺伝性PAH、薬剤・毒物誘発性PAH、結合組織病関連PAH、HIV感染関連PAH、門脈肺高血圧症、先天性心疾患関連PAH、住血吸虫症関連PAHなどに分類されます。特発性PAHは明らかな基礎疾患を認めない病型ですが、「特発性」と判断するためには、他群のPHおよび関連疾患を系統的に除外しなければなりません。なお、日本ではPAHは指定難病86に位置づけられています。
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PAHを扱う際に重要なのは、「肺高血圧症」と「肺動脈性肺高血圧症」を同義にしないことです。PHは血行動態的な状態を表す包括概念であり、左心疾患によるPH、肺疾患・低酸素血症によるPH、慢性血栓塞栓性PH(CTEPH)などを含みます。一方、PAHは病態・病因・治療戦略が異なる第1群PHです。病型を誤れば、PAH特異的治療の効果が期待できないだけでなく、肺うっ血や低酸素血症の悪化などにつながるおそれがあります。
国際的な血行動態定義では、PHは右心カテーテル検査における安静時平均肺動脈圧(mean pulmonary arterial pressure:mPAP)20 mmHg超と定義されます。PAHを含む前毛細血管性PHは、mPAP 20 mmHg超に加え、肺動脈楔入圧(pulmonary arterial wedge pressure:PAWP)15 mmHg以下、肺血管抵抗(pulmonary vascular resistance:PVR)2 Wood単位超を満たす状態です。PAHの診断はこの血行動態に加え、臨床分類上の第1群であることを確認して成立します。
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一方、日本の指定難病の認定基準には、従来のmPAP 25 mmHg以上、PAWP 15 mmHg以下、PVR 3 Wood単位超という基準が用いられている点に注意が必要です。国際ガイドライン上の病態定義と、行政上の医療費助成・認定に用いられる基準は必ずしも同一ではありません。診療録、紹介状、患者説明、臨床研究への組み入れ、難病申請書類では、どの定義・基準に基づく数値なのかを明記することが実務上重要です。
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診断アルゴリズムでは、まず症状、身体所見、既往歴、家族歴、服薬歴、妊娠・出産歴、膠原病関連症状、血栓塞栓症リスクなどを確認します。身体所見では、肺動脈弁領域のII音亢進、右室拍動、三尖弁逆流性雑音、頸静脈怒張、肝腫大、腹水、末梢浮腫、チアノーゼなどを評価します。ただし、これらは進行例で明瞭となることも多く、所見が乏しいからといって除外はできません。
| 項目 | 基準・内容 | 備考 |
|---|---|---|
| 肺高血圧症(PH) | 右心カテーテル検査でmPAP 20 mmHg超 | 血行動態的な包括概念 |
| 前毛細血管性PH | mPAP 20 mmHg超、PAWP 15 mmHg以下、PVR 2 WU超 | PAH、肺疾患関連PH、CTEPHなどでみられる |
| PAHの診断 | 前毛細血管性PHに加え、第1群に該当する病因・病態を確認 | 他群PHの除外が必要 |
| 指定難病認定の血行動態基準 | mPAP 25 mmHg以上、PAWP 15 mmHg以下、PVR 3 WU超 | 国際定義との違いに留意する |
| 確定検査 | 右心カテーテル検査 | 圧、心拍出量、PVR、PAWPを直接評価する |
スクリーニング検査の中心は経胸壁心エコー図です。三尖弁逆流速度、右室・右房拡大、心室中隔扁平化、下大静脈径、右室収縮能、左心系の評価などからPHの確率を推定します。しかし、心エコーは肺動脈圧を直接測定する検査ではなく、推定値のみでPAHを確定してはなりません。確定診断、血行動態の分類、重症度判定、治療適応の検討には、標準化された手順による右心カテーテル検査が推奨されます。
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また、肺機能検査、動脈血ガス分析、胸部CT、心電図、BNPまたはNT-proBNP、心臓MRI、6分間歩行試験、心肺運動負荷試験、自己抗体検査、HIV検査、肝疾患評価などを組み合わせます。CTEPHを除外するためには肺血流シンチグラフィーが重要であり、区域性の血流欠損を認めた場合にはCTEPHを強く疑います。CTEPHは肺動脈内膜摘除術やバルーン肺動脈形成術など、PAHとは異なる治療選択肢を持つため、見逃してはいけません。
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PAHの診療では、前毛細血管性PHを示すからといって直ちにPAHと結論づけない姿勢が必要です。まず左心疾患によるPH、すなわち第2群PHを除外します。左室駆出率が保たれた心不全、左室拡張障害、僧帽弁疾患、大動脈弁疾患、心房細動、高血圧、肥満、糖尿病、高齢などは、PAWP上昇を背景とする後毛細血管性PHに関与します。安静時PAWPが境界域の場合には、容量負荷や運動負荷を含めた評価が専門施設で検討されることがあります。
第3群PHである肺疾患・低酸素血症関連PHも重要です。慢性閉塞性肺疾患、間質性肺疾患、睡眠呼吸障害、肥満低換気症候群、慢性低酸素状態などを評価します。呼吸機能、拡散能、夜間低酸素、胸部CTの肺実質病変を総合し、PHの程度が肺疾患の重症度に見合うかを考えます。肺実質病変が強い症例や著しい低酸素血症を伴う症例では、PAH特異的薬物療法を安易に開始せず、肺疾患・低酸素血症への介入を優先する必要があります。
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肺静脈閉塞症・肺毛細血管腫症(PVOD/PCH)は、PAHに似た前毛細血管性血行動態を示す一方、血管拡張薬で肺水腫を誘発し得るため、特に注意を要する病態です。胸部CTにおける小葉間隔壁肥厚、すりガラス影、縦隔リンパ節腫大、著明な拡散能低下、低酸素血症などは手がかりになります。PAH特異的治療後に急速な呼吸状態悪化や肺水腫が生じた場合、PVOD/PCHを再考し、専門施設と連携して対応します。
疾患概念の理解を助けるためには、「PAHの治療薬が存在する」ことと「PHなら誰にでもPAH治療薬を用いる」ことは別であると整理するとよいでしょう。例えば、左心疾患に伴うPHでは左心不全や弁膜症の治療が中心であり、肺疾患関連PHでは原疾患治療、酸素化の是正、呼吸リハビリテーションなどが基本になります。原因疾患に対する介入を飛ばしてPAH治療へ進むことは、患者利益につながらない可能性があります。
PAH治療の基本は、病因・併存症・重症度を整理したうえで、患者を低リスク状態へ到達・維持させることです。治療判断は単一の検査値ではなく、WHO機能分類、症状、失神の有無、6分間歩行距離、BNPまたはNT-proBNP、心エコー所見、心臓MRI、右心カテーテル検査の右房圧・心係数・混合静脈血酸素飽和度などを組み合わせて行います。初診時だけでなく、治療後にも定期的に再評価し、治療反応が不十分なら早期に強化を検討します。
薬物療法は、肺血管病態に関わる主な経路を標的とします。代表的には、エンドセリン経路を抑制するエンドセリン受容体拮抗薬(ERA)、一酸化窒素(NO)-cGMP経路を増強するPDE5阻害薬または可溶性グアニル酸シクラーゼ刺激薬、プロスタサイクリン経路に作用するプロスタサイクリン製剤・受容体作動薬があります。患者のリスク、病型、併存症、臓器機能、妊娠可能性、投与経路、服薬継続性、有害事象を考慮し、単剤または併用で治療を組み立てます。
多くの低・中間リスクのPAHでは、禁忌や大きな制約がなければERAとPDE5阻害薬による初期併用療法が重要な選択肢となります。高リスク例、急速な進行例、右心不全徴候を伴う例では、静注または皮下注のプロスタサイクリン製剤を含むより積極的な治療を専門施設で検討します。2022年ESC/ERSガイドラインでは、低・中リスク例でのERAとPDE5阻害薬の初期併用、高リスク例での静注・皮下注プロスタサイクリンを含む治療強化が示されています。
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ただし、治療は薬剤選択だけでは完結しません。右心不全や体液貯留があれば利尿薬を用い、低酸素血症があれば酸素療法を検討します。鉄欠乏・貧血、不整脈、感染症、睡眠呼吸障害、腎機能障害、肝障害などの併存問題も右心負荷や運動耐容能を悪化させるため、並行して評価・介入します。PAH患者では妊娠が重篤な循環動態悪化につながり得るため、妊娠可能年齢の患者には、妊娠リスク、避妊、治療薬の催奇形性を含む計画的な説明が必要です。
治療薬の使用時には、薬剤ごとの安全性管理も不可欠です。ERAでは肝機能、浮腫、貧血、妊娠禁忌・催奇形性への注意が求められます。PDE5阻害薬では血圧低下、頭痛、視覚症状、硝酸薬との併用禁忌を確認します。プロスタサイクリン系薬剤では、頭痛、潮紅、顎痛、下痢、低血圧に加え、持続静注製剤でのカテーテル感染や投与中断リスクを管理します。とくに持続静注プロスタサイクリンの急な中断は重篤な悪化を招き得るため、患者・家族・訪問看護・救急医療側を含めた緊急時対応の共有が重要です。
2022 ESC/ERS Guidelines for the diagnosis and treatment of pulmonary hypertension
PAHは希少かつ進行性であり、診断時から専門施設との連携を前提に考えるべき疾患です。地域のかかりつけ医、循環器内科、呼吸器内科、膠原病内科、産婦人科、薬剤師、看護師、リハビリテーション専門職、医療ソーシャルワーカーなどが、患者の課題に応じて役割を分担します。紹介元では、症状変化、体重、浮腫、血圧、脈拍、SpO2、内服状況、副作用、感染徴候、妊娠可能性、心理社会的負担を継続的に確認し、悪化の兆候を見逃さないことが重要です。
患者教育では、病名だけでなく、右心負荷が悪化する仕組み、薬剤を中断しない重要性、体液貯留を示す体重増加や浮腫、失神・胸痛・安静時呼吸困難といった受診を急ぐ症状を具体的に説明します。塩分・水分制限の必要性は、右心不全や利尿薬使用の状況に応じて個別化します。過度な身体負荷は避けるべきですが、状態が安定した患者では、専門的な評価のもとでの呼吸リハビリテーションや身体活動の維持が検討されます。
外来フォローでは、「症状が以前より少し悪い」という患者の訴えを軽視しない姿勢が重要です。WHO機能分類の悪化、歩行距離低下、BNP上昇、右室機能悪化、体液貯留、失神、血圧低下は、治療目標未達または病勢進行の可能性を示します。こうした変化があれば、服薬アドヒアランス、相互作用、感染、貧血、不整脈、肺塞栓、妊娠、左心機能変化などの可逆的要因を検索し、PAH専門チームと治療強化を協議します。
肺動脈性肺高血圧症では、早期診断、正確な病型分類、右心カテーテル検査による血行動態評価、リスクに応じた多剤併用を含む治療、継続的な再評価が一連の診療品質を決めます。PAHを単なる「肺の血圧が高い病気」と捉えず、右心不全を防ぎながら低リスク状態を目指す全身性・長期的な疾患管理として捉えることが、患者予後と生活の質の改善につながります。 nanbyou.or(https://www.nanbyou.or.jp/entry/171)