

前庭神経炎は、突然発症する持続性の回転性めまいを主症状とする急性一側性末梢前庭障害です。患者は「起き上がれないほど景色が回る」「横になっていても回転感が止まらない」と訴えることが多く、悪心、嘔吐、冷汗、歩行障害を伴うことがあります。一方で、典型例では難聴、耳鳴、耳閉感などの新規の聴覚症状を伴わず、第VIII脳神経以外の明確な神経学的異常も認めません。
前庭神経炎診療ガイドライン 2021年版(Minds)
実臨床では、急性期の激しい症状が軽快した後、数週間かけて生活動作が回復するという説明が実用的です。ただし、仕事への完全復帰、階段昇降、暗所歩行、急な方向転換、車の運転、画面作業などで違和感がなくなるまでには、数か月を要する患者もいます。これは単に炎症が長引くという意味ではなく、一側前庭入力の不均衡に対し、脳幹・小脳を中心とする前庭代償が進む過程と理解できます。
| 時期 | 症状・機能の目安 | 臨床上の留意点 |
|---|---|---|
| 発症当日~3日程度 | 持続性の回転性めまい、悪心・嘔吐、起立・歩行困難が強い | 脱水予防、転倒防止、脳卒中など中枢性病変の除外を優先する |
| 数日~数週間 | 回転感は軽快するが、体動時のふらつきや歩行不安定感が残る | 過度な安静を続けず、安全を確保して離床・活動を再開する |
| 数週間~数か月 | 日常生活は改善しやすい一方、速い頭部運動や視覚刺激で症状が残りうる | 遷延例では前庭リハビリテーション、診断の再評価を検討する |
| 数か月以降 | 多くは代償が進むが、ふらつきや動揺視が持続する例もある | 前庭機能低下、心理的要因、PPPD、他疾患の併存を評価する |
一側前庭機能が低下すると、左右の前庭入力の非対称性によって自発眼振、回転感、姿勢不安定が生じます。急性期を越えると、中枢神経系は残存する前庭入力、視覚情報、体性感覚情報を再重み付けし、左右差への適応を進めます。この前庭代償が臨床的な回復の中心であり、患者が安全な範囲で頭部・体幹を動かし、歩行や日常動作を再開することには意味があります。
患者が「まだふらつくので治っていない」と不安を抱く際は、前庭神経そのものの機能回復だけでなく、前庭代償の進行に時間差があることを説明します。ただし、経過が横ばい、あるいは悪化している場合には、「代償に時間がかかっているだけ」と決めつけず、診断の妥当性、合併症、薬剤性、心理的要因を含めて再評価することが必要です。
前庭神経炎では、強いめまいがあっても典型例では難聴や局在神経症状を伴いません。そのため、新たな難聴、耳鳴、耳閉感が明確に出現した場合は、内耳疾患や突発性難聴を伴う病態などを再考します。また、発症後に症状が一貫して改善するのではなく、急激に悪化する、繰り返す、性状が変化する場合も、安易に同一疾患の経過として扱うべきではありません。