

脚気とは、ビタミンB1(チアミン)の欠乏を背景に、主として末梢神経障害、循環器障害、浮腫、筋力低下などを来す病態です。ビタミンB1は補酵素型であるチアミン二リン酸として、グルコース代謝や分枝アミノ酸代謝に関与します。糖質からエネルギーを産生する過程に必要であり、欠乏すると神経組織、心筋、脳など、エネルギー需要の大きい組織が影響を受けやすくなります。
臨床上、脚気は末梢神経障害を中心とする乾性脚気と、循環器症状を中心とする湿性脚気に大別して理解されます。乾性脚気では、下肢優位のしびれ、灼熱感、疼痛、感覚障害、筋力低下、腱反射低下、筋萎縮などが問題になります。湿性脚気では血管拡張、頻脈、脈圧増大、浮腫、乳酸アシドーシス、高拍出性心不全などを呈し、急速に循環動態が悪化する衝心脚気に至ることがあります。チアミン欠乏は脚気にとどまらず、ウェルニッケ脳症やコルサコフ症候群、乳酸アシドーシスとも連続した病態として捉える必要があります。
参考)https://www.mhlw.go.jp/content/10904750/000586563.pdf
初期症状は、倦怠感、食欲不振、易刺激性、睡眠障害、記憶力低下、腹部不快感など非特異的です。そのため、症候だけで早期に脚気を疑うことは簡単ではありません。しかし、食事摂取低下や持続する嘔吐、アルコール使用、フレイル、原因不明の末梢神経障害、浮腫を伴う心不全、説明困難な乳酸アシドーシスがあるときは、ビタミンB1欠乏を鑑別に加える意義があります。
MSDマニュアル プロフェッショナル版:チアミン欠乏症
脚気の直接原因はチアミンの不足ですが、実際の発症には複数の要素が重なります。原因評価では、「十分に摂れていない」「体内で必要量が増えている」「吸収・利用できない」「排泄が増えている」という4方向から病歴、栄養歴、身体所見、投薬歴を確認することが重要です。単に白米を食べているかどうかではなく、食事全体の質、摂取量の変化、経腸・静脈栄養の内容、嘔吐・下痢の期間、併存疾患を確認します。
原発性の欠乏は、チアミン摂取そのものが不足することで生じます。高度に精製された炭水化物に偏った食事、極端な食事制限、摂食障害、食料アクセスの低下、独居高齢者の低栄養、口腔・嚥下機能低下などは重要です。精製された白米、白小麦粉、白砂糖などを主とする食事では、エネルギー源は摂取できてもチアミン供給が不足し得ます。さらに糖質負荷が多いほどチアミンを必要とする代謝が進むため、摂取量が少ない状態で糖質偏重が続くと相対的な不足を助長します。
二次性の欠乏では、需要増大、吸収障害、代謝障害、排泄増加が鍵になります。甲状腺機能亢進症、妊娠、授乳、発熱、感染症、激しい身体活動などでは需要増大が想定されます。長期の下痢、消化管疾患、嘔吐の持続、消化管手術後などでは吸収不良が問題となります。肝機能不全などの代謝障害もチアミン利用に影響します。アルコール使用症では、食事摂取の低下だけでなく、腸管からの吸収障害、体内利用障害、需要増大が重なり得るため、特に注意が必要です。
| 原因分類 | 基準・内容 | 備考 |
|---|---|---|
| 摂取不足 | 偏食、精製炭水化物中心、極端な減量、摂食障害、低栄養 | 食事量だけでなく食品の多様性も確認する |
| 需要増大 | 妊娠、授乳、発熱、感染症、甲状腺機能亢進、過度の運動 | エネルギー代謝亢進に伴い必要量が増える |
| 吸収障害 | 持続する嘔吐・下痢、消化管疾患、消化管手術後 | 経口摂取量が見かけ上十分でも欠乏し得る |
| 利用・代謝障害 | アルコール使用、肝機能不全、重症疾患 | 摂取、吸収、利用の複合的障害を想定する |
| 排泄増加 | 利尿薬使用、透析、尿量増加を伴う病態 | 高齢心不全患者では栄養状態と投薬の両面を確認する |
厚生労働省資料では、ビタミンB1はエネルギー産生栄養素の異化代謝に関わる補酵素であり、必要量はエネルギー消費量に応じて考えるべき栄養素と整理されています。完全にビタミンB1を除去した食事を継続した実験では、およそ2週間後から血中濃度の低下と全身倦怠感が観察されており、短期間の摂取不良であっても臨床的に軽視できません。
参考)チアミン欠乏症 - 09. 栄養障害 - MSDマニュアル …
現代の脚気は「昔の病気」という先入観が診断遅れにつながりやすい点に注意が必要です。典型的な白米偏重だけでなく、エネルギー飲料や清涼飲料水、菓子類、麺類、パン類などによる糖質偏重と、たんぱく質・副菜不足が組み合わさる例があります。また、若年者の極端なダイエット、摂食障害、社会的孤立を背景とする低栄養、高齢者のフレイル、がんや慢性疾患に伴う食欲低下なども、日常診療で遭遇し得るリスクです。
アルコール使用症は重要なハイリスク状態です。飲酒量そのものだけではなく、食事を摂れているか、最近の体重変化があるか、嘔吐や下痢があるか、意識・歩行・眼球運動に変化がないかを確認します。アルコール使用症では、チアミン摂取低下、腸管吸収低下、利用障害、代謝亢進が同時に起こり得るため、通常の食事歴だけから欠乏を否定することはできません。
妊娠悪阻や長期の悪心・嘔吐も見落とせない状況です。経口摂取が困難な期間が続けば、チアミン貯蔵は短期間で低下し得ます。特に意識変容、歩行不安定、複視、眼振、眼球運動障害を認める場合は、ウェルニッケ脳症を含む重症チアミン欠乏を緊急に評価します。古典的三徴がすべてそろうとは限らないため、神経学的症状が不完全でもリスクと経過を重視することが重要です。
特に心不全患者では、浮腫の原因をうっ血性心不全の増悪だけと判断しないことが大切です。食事量低下、フレイル、利尿薬使用が重なった場合には、チアミン不足が循環不全に関与する可能性があります。利尿薬はチアミン排泄を促進し得るため、浮腫を理由に利尿を強化する前に、栄養状態と脚気心の可能性を検討する視点が求められます。
脚気およびチアミン欠乏の診断は、単一の検査で確定できるものではありません。まず、摂取不足、吸収不良、需要増大、アルコール使用、利尿薬、長期の嘔吐・下痢などのリスクを把握し、神経症状、循環器症状、精神・意識症状、乳酸アシドーシスなどの臨床像と組み合わせて判断します。末梢神経障害が対称性で下肢優位に進行している場合は、糖尿病性神経障害、ビタミンB12欠乏、薬剤性、アルコール性、重金属中毒なども含めて鑑別します。
補助検査として、血中または全血のチアミン濃度、赤血球トランスケトラーゼ活性、24時間尿中チアミン排泄量などが用いられる場合があります。しかし、検査の可用性、検体採取時期、結果判明までの時間、治療開始後の解釈などに制約があります。チアミン欠乏を強く疑う患者では、検査結果を待つことによって治療開始を遅らせない姿勢が重要です。臨床的にチアミン補充へ良好に反応することも、診断を支持する所見になります。
湿性脚気や脚気心を疑う場合は、心不全の一般的評価に加え、頻脈、血管拡張、脈圧増大、下腿浮腫、肺うっ血、乳酸値、酸塩基平衡を確認します。高拍出性心不全として典型的に現れない症例もあるため、栄養歴と治療反応を含めて評価します。乳酸アシドーシスでは、ショック、敗血症、腸管虚血、けいれん、薬剤、肝障害などの緊急疾患を除外・治療しつつ、チアミン欠乏の関与を忘れないことが実務上重要です。
ウェルニッケ脳症が疑われる場合は、意識障害、眼球運動異常、運動失調という古典的三徴の有無だけで除外してはいけません。三徴がそろわない患者も少なくなく、食事摂取不良や飲酒、持続する嘔吐を伴う神経症状では、早期補充を含む対応を検討します。MRIは補助診断となり得ますが、画像所見がないことだけで臨床診断を否定することはできません。
チアミン欠乏が疑われる患者への対応では、重症度、経口摂取の可否、神経症状・循環器症状の有無、吸収障害の可能性を踏まえて補充経路と用量を判断します。軽度の末梢神経障害で全身状態が安定し、吸収障害が想定されない場合には経口投与が選択肢になります。一方、意識障害、眼球運動障害、失調、重症心不全、ショック、持続する嘔吐、重度の吸収障害がある場合には、非経口投与を要する可能性があります。具体的な投与法は施設の採用薬、添付文書、患者の病態、専門科の判断に従います。
糖質を含む輸液を投与する場面では、チアミン欠乏リスクへの注意が必要です。チアミンはブドウ糖代謝に必要であり、欠乏状態の患者にブドウ糖を投与すると、欠乏症状が誘発または悪化することがあります。MSDマニュアルでは、チアミン欠乏リスクのあるアルコール使用症患者などでは、ブドウ糖静注前にチアミン100mgを静注することが示されています。ただし、低血糖などの緊急処置を不当に遅らせないことも重要であり、救命処置と並行して速やかなチアミン投与を行うという臨床判断が基本になります。
ウェルニッケ脳症が疑われる場合は、経口投与では吸収が不安定になり得るため、静脈内投与を中心とした治療が検討されます。医学書院の救急解説では、明確な単一レジメンはないとしつつ、ウェルニッケ脳症に対して初期に高用量静注とビタミンB群併用を行う考え方が紹介されています。実際の投与量・期間は国内外のガイドライン、院内プロトコル、個々の患者背景により異なるため、医療機関内で標準化された手順を参照することが望まれます。
予防では、単にビタミンB1製剤を投与するだけでは不十分です。摂取不足の背景にある偏食、食欲不振、摂食障害、飲酒、社会的孤立、経済的困難、口腔・嚥下問題、悪心・嘔吐、消化管疾患、栄養療法の設計不備を把握し、原因に介入する必要があります。チアミンは全粒穀類、豚肉、レバー、豆類、ナッツ類、栄養強化食品、いも類などから摂取できますが、患者ごとの咀嚼・嚥下機能、食事制限、腎機能、肝機能、糖尿病管理、飲酒状況を考慮して、管理栄養士を含む多職種で具体的な食事支援を設計します。
脚気の原因評価で最も重要なのは、「食べていない人」だけを対象にしないことです。十分に食べているように見えても、糖質偏重、吸収不良、代謝亢進、アルコール使用、利尿薬、透析、持続する嘔吐などがあればチアミン欠乏は起こり得ます。原因不明のしびれ、歩行障害、浮腫、頻脈、心不全、乳酸アシドーシス、意識変容に遭遇した際、短期間の栄養障害でも生じ得る可逆的な病態として脚気を鑑別に置くことが、重症化予防につながります。
厚生労働省:日本人の食事摂取基準におけるビタミンB1の解説