

不育症とは、生殖年齢の男女が妊娠を希望し、妊娠自体は成立するにもかかわらず、流産または死産を繰り返して生児を得られない、あるいは得にくい状態を指す臨床概念です。最大のポイントは、妊娠が成立しない「不妊症」とは異なり、受精、着床、妊娠反応の陽性化といった妊娠成立の過程を経た後に、妊娠継続が困難になることにあります。
日本不育症学会では、原則として「流産あるいは死産が2回以上ある状態」を不育症と定義しています。流産・死産は連続している必要がなく、すでに生児を得ている場合でも該当し得ます。たとえば、第1子を出産した後に2回の流産を経験した場合も、不育症として評価の対象になります。生化学的妊娠は通常、流産回数には算定しません。日本不育症学会「不育症の定義」
なお、「反復流産」は一般に2回以上連続する流産、「習慣流産」は3回以上連続する流産を指し、いずれも不育症に含まれる用語です。ただし、用語の定義や診断の扱いは研究、国、ガイドラインによって差があります。患者への説明では、回数だけで機械的に切り分けるのではなく、母体年齢、流産時の週数、胎児・絨毛の染色体情報、既往歴、基礎疾患、次回妊娠における予測リスクを総合して判断する姿勢が重要です。国内の提言では、臨床的流死産歴が1回であっても、抗リン脂質抗体症候群などにより次回妊娠で流死産リスクが高いと推定される場合は、不育症の概念に含めて検査・対応を検討するとされています。
参考)http://fuiku.jp/common/teigen001.pdf
不育症の診療では、流産回数だけでなく、妊娠歴を時系列で正確に把握することが出発点です。妊娠ごとの妊娠週数、胎嚢・胎芽・心拍の確認状況、流産の自然排出か手術か、病理検査の有無、絨毛染色体検査または流産組織の遺伝学的検査の結果、死産であれば胎児発育、胎盤所見、剖検・病理解剖の情報を確認します。
| 項目 | 基準・内容 | 備考 |
|---|---|---|
| 不育症の基本的定義 | 流産または死産が2回以上ある状態 | 流死産が連続していなくてもよく、生児の有無も問わない |
| 反復流産 | 2回以上連続する流産 | 不育症に含まれる概念として扱われる |
| 習慣流産 | 3回以上連続する流産 | 従来から用いられる用語であり、不育症に含まれる |
| 生化学的妊娠 | hCG上昇後に超音波で妊娠部位を確認する前に終結する妊娠 | 国内の不育症定義では通常、流産回数に含めない |
| 早期評価を考慮する例 | 流死産が1回でも高リスク要因を認める場合 | 抗リン脂質抗体症候群などを念頭に個別評価する |
初診時には、妊娠歴に加え、母体年齢、月経歴、既往妊娠の転帰、子宮手術歴、血栓症歴、自己免疫疾患、甲状腺疾患、糖代謝異常、高血圧、腎疾患、感染症、家族内の血栓症・染色体異常の有無を確認します。喫煙、飲酒、体格、過度のカフェイン摂取など、修正可能な生活背景も聴取対象です。男性側についても、染色体構造異常の家族歴、本人の遺伝学的検査歴、不妊治療歴を含め、カップル単位で評価します。
説明時には、「2回流産したから必ず特定の疾患がある」という意味ではないことを明確に伝える必要があります。流産の多くには胎児の偶発的な染色体数的異常が関与し、母体年齢とともにその頻度は上がります。一方で、治療や管理によって妊娠転帰の改善が期待できる病態もあるため、必要な検査を選別し、根拠の乏しい検査・治療を無差別に重ねないことが診療の質に直結します。
不育症の原因・リスク因子は単一とは限らず、明確な因子を同定できない例も少なくありません。国内で標準的に検討される評価には、子宮形態異常、抗リン脂質抗体、夫婦の染色体構造異常、内分泌・代謝異常が含まれます。検査は「不育症であれば一律に広範囲の項目を実施する」という方法ではなく、妊娠歴、流産週数、臨床症状、既往歴に応じて適応を判断します。
子宮形態異常は、着床部位や子宮腔の形態、血流、妊娠子宮の伸展性などを介して流死産リスクに関わり得ます。ただし、画像検査で形態異常を認めた場合にも、所見の種類、重症度、既往妊娠の経過、手術の利益と不利益を踏まえて対応を決めます。検査所見だけを理由に侵襲的な処置を急ぐのではなく、患者ごとに因果関係の蓋然性を吟味することが必要です。
抗リン脂質抗体症候群は、治療介入による妊娠転帰改善が期待される重要な病態です。一方、抗体検査は測定法やカットオフ、検査時点の影響を受けるため、単回の軽度陽性だけで確定的に解釈してはなりません。臨床所見と検査所見を組み合わせ、持続陽性の確認を含めて診断基準に沿って判断します。夫婦染色体検査で構造異常が判明した場合は、次回妊娠の見通し、自然妊娠、出生前検査、着床前遺伝学的検査の適応と限界などについて、十分な遺伝カウンセリングを行うことが不可欠です。
参考)不育症について教えて下さい – 日本産婦人科医会
不育症の治療は、「不育症だから特定の薬剤を投与する」のではなく、同定された病態と妊娠転帰への関連性に応じて実施します。薬剤の有効性と安全性は原因別に異なり、妊娠中の母体出血、血栓、感染、胎児への影響も踏まえた個別化が必要です。特に、抗血栓療法や免疫調整療法は、適応外またはエビデンスが限定的な使用が混在しやすいため、説明と同意の質が問われます。
抗リン脂質抗体症候群の分類基準を満たす不育症では、低用量アスピリンとヘパリンを組み合わせた治療が選択肢になります。治療開始時期、ヘパリンの種類・用量、妊娠中の血小板数や出血症状の確認、分娩前後の休薬・再開は、産科、血液内科、必要に応じて膠原病内科と連携して管理します。抗リン脂質抗体が陰性、または診断基準を満たさない原因不明不育症に対して、抗血小板薬やヘパリンを経験的に広く投与しても、有効性を支持する十分な根拠があるとはいえません。
甲状腺機能異常が確認された場合は、妊娠前から甲状腺専門医または内科と連携し、妊娠に適した甲状腺機能管理を行います。明らかな糖代謝異常がある場合には、妊娠前からの血糖コントロール、食事・運動療法、必要に応じた薬物治療を行い、母体・胎児双方のリスクを下げます。子宮形態異常への手術療法は、形態、流産歴、妊娠歴、手術リスクなどを検討したうえで選択します。
夫婦の染色体構造異常では、治療の中心は一律の薬物投与ではなく、遺伝カウンセリングです。自然妊娠を継続する選択、配偶子提供を含む選択肢、出生前遺伝学的検査、着床前遺伝学的検査の位置付けを、疾患背景と各制度の範囲内で丁寧に説明します。原因不明例では、過剰な治療よりも、早期妊娠からの超音波フォロー、受診しやすい体制、十分な情報提供、生活習慣支援を含めた継続的なケアが重要になります。
不育症では、流産・死産という喪失体験そのものに加え、「次の妊娠でも同じことが起こるのではないか」という予期不安が強くなりやすい点を理解する必要があります。患者は身体的な検査や治療だけでなく、周囲に理解されにくい悲嘆、妊婦や乳幼児を目にする場面での苦痛、夫婦間で異なる受け止め方、仕事との両立、経済的負担にも直面します。医療者が「次は大丈夫」と安易に保証することや、「よくあること」と喪失体験を矮小化することは避けるべきです。
診療では、現時点で分かっていること、分からないこと、検査の限界、治療を行う場合と行わない場合の考え方を、理解可能な言葉で説明します。流産の原因が胎児染色体異常と考えられる場合にも、「本人の行動が原因ではない可能性が高い」ことを適切に伝えることは、自責感の軽減につながります。同時に、結果を断定せず、検体の由来や検査精度、母体細胞混入など、遺伝学的検査の限界を踏まえた説明が必要です。
次回妊娠では、妊娠判明後に早期受診できる導線、超音波検査の時期と目的、出血・腹痛・発熱などの受診目安、夜間休日の相談先を具体化して共有します。反復する喪失体験によって抑うつ、不眠、強い不安、心的外傷反応、自殺念慮が疑われる場合には、精神科・心療内科、臨床心理士・公認心理師、自治体の相談窓口などへ速やかにつなげます。カップルを単位として意思決定を支え、患者が治療を受ける・受けない、妊娠を試みる時期を含めて自律的に選択できるよう支援することが、不育症診療の重要な柱です。
医療機関内では、産婦人科医だけで完結させず、胚・胎児の遺伝学的評価に関わる専門職、血液内科、膠原病内科、内分泌・糖尿病内科、甲状腺専門医、精神心理職、地域の保健師との連携ルートを整備すると有用です。不育症を「原因を見つけて薬を出す診療」に限定せず、医学的評価、妊娠中の安全管理、グリーフケア、将来の妊娠に向けた意思決定支援を一体として提供することが求められます。厚生労働省「不育症に関する取組み」
参考)https://www.fukushi.metro.tokyo.lg.jp/documents/d/fukushi/manual-fuikusyou-